育緒の写真集『3 Straight Stories』

96頁 折り返し付ソフトカバー 縦255×横200

11月29日 販売開始   ご予約

 

写真集「3 straight stories」について

育緒

(写真集の前書き全文/長文です)

 

 3つのストーリーで1冊の写真集を作ることは早い段階から決めていました。時間の流れを取り込みたい、世の中の移り変わりに触れておきたい、そういう理由で選んだ過去の作品を2つと、今の自分の思いを写したものを1つ。そしてこの3つが根底でしっかり繋がっている本にしたいと考えながら取り組みました。

 2年以上に及ぶコロナ禍。その影響が多方面に広がる中で私が不安を感じていたのは、尋常ではないスピードで進む社会のデジタル化でした。ついて行けないというわけではなく、アナログでよかったはずの物事までが、先を急ぐように次々と実体を奪われていくことへの違和感だったと思います。

 

 story1『プラトンの洞窟』では、コロナが蔓延する以前から個人的に重大な問題だったカメラのデジタル化と、日本社会のデジタル化を重ねあわせながら「実体」を失うことの意味に目を向けています。

 2018年のある日、絶版になった書籍にだけ居場所が与えられる、洞窟のような書砦を見つけました。灯りの無い暗い地下室のような場所に、手付かずの状態で積み上げられている無数の書物。探検家のように一灯のライトを照らしながら足を踏み入れると、聞こえるはずもない文字のうめき声のようなものが至る所から聞こえる気がしたのですが、あれは本当に書籍たちが、誰かの手に取られる日を待ちながら、漆黒の中で呼吸していたのかも知れません。光線を向けると、万にも及ぶ背表紙の群れが私に絡みついてきました。過去の誰かが思いを込めて刻んだタイトル文字のひとつひとつが、圧倒的な迫力で迫ってきます。ここにある文字のすべてを文書データとして保存するならば、両手ですくえるくらいのメモリーカードに書き込んでしまえるでしょう。けれどもそれは、実体だけが持ち得る比類ないエネルギーを簡単に放棄してしまうことでもあります。

   そう考えながら同時に私は、デジタルカメラというものを初めて手に取ってみました。フィルム撮影のために洞窟内をライトアップするよりも、わずかな灯りを頼りに撮り進めるデジタル機で、先の見えない冒険の緊張感を出してみたかったからです。機種を選ぶにあたっては、アナログ機の歴史に敬意を感じる、簡潔なスペックのものを求めました。アナログを切り捨てることで居場所を得たデジタル機はアナログと馴染まない。アナログと馴染まないものは私にも馴染まない。自分の中では漠然とデジタル化=進化ではないと感じてはいたけれど、このカメラで作品を撮っているうちに、何を信条としてデジタル化されたのかが、=進化かどうかを方向づけていくのかも知れないと思いました。

 

 story2『瞬きもせず』は、30年前に中米のグアテマラ共和国で撮影したフィルムの束を見つめ直し、長い間ずっと抱えていた「人にレンズを向けることの痛み」について考えた作品です。すでに得体のしれない無法地帯となってしまった今の情報社会において、肖像とは何かを自分に問いかけました。

 メキシコの南に隣接するグアテマラ共和国を初めて訪れたのは1992年。この土地には当時の政権によってもたらされた理不尽な先住民大量殺戮の記憶がまだ生々しく残っていました。山奥に暮らす人々の表情には村人以外への緊張感があらわで、目の奥に重い鎧戸が下りているのが見えるようでした。不意に写真を撮ろうとすると憤慨する人が大半であり、かなり打ち解けた後でも、私がカメラに手をかけると例外なく大人も子どもも表情が険しく一転します。撮ることで真摯に人と向き合うことを信条として掲げたばかりの駆け出し写真家は、何ひとつ行動しないうちに足元が揺らぎ、撮りたいと思えば思うほど生真面目な葛藤に悩まされました。

 そこから4年ほどの間、私は何度も同じ村に通います。撮ったポートレートをプリントにして、

半年後に自分で届ける。可能ならばまた撮らせてもらい、また半年後に持っていく。そんなことを繰り返しました。やがて人々の態度も拒絶から許容へ、許容から親しみへとゆるやかに変化していきました。

 肖像写真における表情とは結局、被写体の人柄でも外見の特徴でもなく、撮られた人の、撮られた時点での心模様なのではないかと私は感じ始めています。この作品のポートレートも、私(=撮る人)が現れたことによって「撮られること」について意識せざるを得なくなった人々が、私(=撮る人)に対し、カメラを向けられるたびに垣間見せた反応の断片だと思うからです。

 デジタル機で撮れば写した画像をその場で見せることができ、端末機があればついでにデータの共有も可能で、無駄な時間とプロセスは大幅にショートカットされる。もちろん生活の中の多くの場面では、私もそれに同調します。けれど人を撮りたいと思った時には今も迷うことなく、当時と同じ、最も面倒臭くて人間臭さいやり方を選びます。結果を急げず省略もできないツールを使うことで、互いの間に仕方なく生まれる特別な関係性を、とても大切に感じるからです。個人情報の漏洩、プライバシーの侵害、肖像権。撮られないための理由に事欠かない今の世の中だからこそ、私は恐れずに人を撮り、その意味を探し続けようと思いました。

 

 story3『トロイメライ』は、この本を出版するほんの5カ月前にベルギーへ渡航して撮影した作品です。トロイメライとはドイツ語で夢みることを意味する言葉であり、音楽家ロベルト・シューマンが1839年に作曲した 「子供の情景」第7章のタイトルでもあります。外出を規制される中、ニュースという名の悲観的音声や映像が、隙あらば目や耳から入り込もうとする毎日に疲れ果てると、この曲をピアノで弾き、子どもの頃に飽きることなく眺めた童話の挿絵を思い返して過ごしました。これは逃避であると同時に、切実な自己セラピーだったように思います。音を体に響かせ、穏やかな景色を脳裏に浮かべることで、なんとか自分に平穏を取り戻そうとしていたのではないでしょうか。

 するともちろん、絵本の中へ逃げ込んでしまいたいという気持ちは膨らみ続け、やがて押さえきれなくなります。とうとう私は、海外への渡航が緩和されたらすぐ旅に出られるよう、準備をはじめました。思い立ってパソコンの前に座れば、童話の挿絵に似ている景色を画像検索したり、ヨーロッパの果ての小さな酪農村に宿を予約できてしまうのも現実です。まるで5歳の私が夢みた世界に今の現実が直通したような、とても不思議な感覚でした。

 旅先の村には、本当にタイムマシンで来たのかと錯覚するほど、古い童話のままの風景があり、100年前の道具を大切に使いながら働く人々の生活がありました。人間のためにアナログとデジタルがバランスを保っている社会には、血の通ったファンタジーのような、独特の柔らかさがある気がします。2週間ほど身を置いただけで心が安堵し、世の中を信じる気持ちを取り戻せたように思えました。そして何より、私の目に入るものの全てが優しい色と柔らかい境界線だけで完結していることへの幸福感に、ぽろぽろと涙がこぼれました。映像ビジネスのハイビジョン化や流通プロダクトの蛍光色化で、東京は今、視界に入るもののコントラストや発色が尖り続けています。視神経を刺激し、興奮を煽る商業戦略はどんな時代にも存在していたはずです。けれど、ここまで日常生活を浸食してきたことはなかったのではないでしょうか。私が私に向かって点滅させていたSOS信号の意味を、やっとわかってあげられました。日本に帰国したら、柔らかい色・光・フォルムと心のつながりについて考えた作品をつくろうと思いました。そして出来上がったのが、この『トロイメライ』です。

 

 解説についてですが、福川芳郎、岡村嘉子、長島有里枝。まるで三角形の三頂点ほど異なる立ち位置の三氏に、作品への文章を寄せて頂くことができました。

 福川さんは、老舗の写真専門ギャラリーBLITZ(東京都目黒)のオーナーギャラリストであり、無名の私に様々な助言を与え、育て、最初の写真集「酔いどれ吟遊詩人」(窓社2012)を世に出してくれた方です。世界を視野に入れている写真収集家には絶大な信頼と人気を得ている一方、写真家の間では激辛口&不愛想で有名な人物。私は当時から、そして今も彼の講評が恐ろしいです。どんな小さな甘さも見つけ出され、オブラートに包んでない言葉で指摘されるので、受け止めずに逃げるか、胃を痛めながらでも努力を続けるか、どちらかを選ぶしかないからです。けれど2冊目の写真集を出すにあたって、初稿を見て頂き、講評をお願いすることに迷いはありませんでした。私にとって写真集の出版とは、伝えたい人に伝えたいことを伝えることの難しさを徹底的に学ぶ行為です。今回も福川さんの指摘から、いくつもの次なる課題を得ることができました。海外に向けられたアンテナの鋭さにも感服です。多忙な時間をさいての執筆、ありがとうございました。

 岡村嘉子さんは、美術史家であるにとどまらず、フランス語で書かれた名著を豊かな日本語に紡ぎ変える翻訳家としても世に知られています。彼女は美術を語る時、それが執筆であっても講演であっても、一語一語を丁寧に選び、フレーズに愛情を注ぎ、原稿に推敲を重ねる時間を惜しみません。その時間をこの作品にも与えてくれたことが、文章から温かく伝わってきました。私たちは同じ場所で別々の講座(彼女は美術史、私は暗室技術)の講師をしていたので、以前から「よっちゃん」「育ちゃん」と呼ぶ仲ではありましたが、個展「プラトンの洞窟」に足を運んでくれた日から、彼女は私の作品について、時には美術史に例え、時には文学や映画に例え、掘り下げながら思いを語ってくれるようになりました。「手触りの形見」を読んだ後に自分の作品を見ると、新しい発見が様々あり、執筆してもらえたことに感謝するばかりです。よっちゃん、ありがとう。

 そして長島有里枝。写真に関わっていて彼女の名前や作品を知らない人はいないでしょう。デビュー作は私にも忘れられない衝撃でした。ずっと写真家・長島有里枝のファンだったけれど、講談社エッセイ賞を受賞した「背中の記憶」を読んでからは、人間・長島有里枝の大ファンであり続けています。大阪のニコンサロンで仕事があり、たまたま控室が同じだったことで本人に出会えた時、最初に私が言った言葉は「なま有里枝、まじ可愛い~」でした。有里枝は笑ってくれ、打ち解け、連絡先を交換して別れました。初めて2人でお酒を飲んだ新宿三丁目の香港屋台で、互いの息子や犬ネコ、親のことから自分の事まで、夢中で話したのを覚えています。ちょっと年上だということ以外に威張れる事がない私は、この正真正銘のアーティストに「ねぇさん 」と呼ばせて喜んでいる小さい人間です。だから、届いた原稿を読んだ時には、涙が吹き出ました。誰かがどこかで見ていてくれることの心強さをリアルに全身で感じています。有里枝、ありがとう。